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大学スポーツと公平性について

箱根駅伝の季節になると、毎年のように話題になるのが、留学生ランナー、とりわけアフリカ出身選手の圧倒的な走りである。2区でのごぼう抜きは、テレビ中継としては確かに分かりやすく、視聴者の目を引くだろう。この番組をありがたく無料で見せていただけるのも、その人気のお陰。ただ、正直に言えば、私はその光景を「面白い」と感じることはほぼない。

理由は単純で、大学スポーツとして見たときに、そこにあるはずの物語や必然性が見えにくくなるからである。

私自身は早稲田大学政経学部、中央大学法学部を卒業した人間である。大学選択においては「どこに入れるか」より「どこに入りたいか」が重要だった(もちろん実力で入れない大学はあったけど)。最初の受験で早稲田大学と慶應義塾大学に合格していたが、在籍する学生としてラグビーと野球を応援したかったし、一番行きたかった大学として早稲田大学進学を迷わず決定。後年、通信教育で法学部入学をする時も、中央大学と慶應大学を比較した際に「塾生になるのは健康診断が必要」という方針の慶應に何言ってるんだ、と「以前受かっていたのに行かなかった」慶應ではなく、通学時間が慶應より長いが通信教育として伝統がある中央大学を選択した。そのせいで、単位を取るための夏の通学で往復合計3時間に耐える羽目になったんだけれど、素晴らしい教授や友人に出会うことが出来た。

その選択は、偏差値やブランドの問題ではなく、その大学が持つ空気や価値観、そこで学ぶ意味に納得できるかどうか、という感覚的でありながら、後年後悔しないことが基準であった。

箱根駅伝を見ていて、違和感を覚える瞬間がある。

「その大学で駅伝を走りたいから入学した学生が、果たして主役になっているのか」

これは留学生選手を否定する意味で言っているのではない。彼らの努力や才能、競技への真摯な姿勢には、当然ながら敬意を払うべきである。ただ、勝利を最優先するあまり、大学で競技をする意味や、その大学でなければならない理由が、相対的に薄れてしまう構造には疑問を感じるのだ。

この点を考えるとき、私がいつも思い出すのが、古くは大西鐵之祐氏が自主的な練習を重視していたという早稲田大学ラグビー部というものの伝統。早稲田ラグビーには、勝利のために外国人選手を推薦で集める仕組みはなく、「浪人しても早稲田でプレーをしたい」からという志願者が多く、そういう人達がメンバーとして活躍している。その事実自体が、制度や強化策以前に、文化と価値観が人を引き寄せていることを示しているように思う。外国人選手がいなくても日本の大学ラグビーを代表する存在であり続けている。

もちろん、すべての大学が同じ条件下にあるわけではない。知名度、歴史、立地、競技環境——それぞれの事情の中で、勝つために工夫を重ねている大学が多く存在することも理解していて、その努力自体を否定するつもりは毛頭ない。特に箱根駅伝は正月の番組の中でも圧倒的に視聴率が高い番組であり、全国的に知名度が低い大学も駅伝で活躍すれば、その名を全国に知らしめることになり、留学生の学費を負担したとしてもその宣伝効果は大きいはずである。

ただ、大学スポーツが「大学スポーツ」である以上、誰のための競技なのか、何をもって成功とするのか、という問いから完全に逃れることはできないはずである。

今日の箱根駅伝でも、2区を外国人留学生がトップで走る展開になった。結果として順位がどうなるかは別として、少なくとも私にとっては、あまり心が動かされる展開ではない。

短期的な勝利や話題性よりも、長い時間をかけて築かれてきた大学の文化や、「この大学で学び、競技をしたい」と自然に思わせる力。その価値をどう守り、どう次の世代につないでいくのか。

箱根駅伝を見ながら、早稲田ラグビーの姿勢と、もう大昔のことではあるけれど、自分自身の大学選択を重ね合わせて、そんなことを考えていた。

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